昭和50年04月28日 朝の御理解
御神訓 一、「体を作れ。何事も体がもとなり。」
もと体が元とこう言うてある。命あってのものだねと。確かに命あってのものだねであります。何と言うても健康であると言う事。それには体を作れと仰せられる。そこん所の精進がなされなければならん。適当な運動する事も、又は栄養の事を考える事も、矢張り体を作るための精進でしょう。けれども今日私体を作ると云う事は、次に心配する心で信心をせよと仰せられますが、体には心配が一番毒だと言われております。
気に病むいわゆる、病気は気からと言われておりますから、心配する心が私は先ず取れる様な信心をさせて貰う事が、体を作る根本になる事じゃないでしょうか。私共の様に朝から晩まで、こうやって座っておりますと、どうしても運動不足になります。ですから適当な運動が大事だと思いますけれども、私は散歩に出たり運動したりする事を神様から許されません。皆が私は足が弱いから少し適当な運動をされると良いですよと奨められますけれども、神様はやはりそうではない。
だから一般には体を作ると言う事は、適当な運動とかまた栄養を摂るとか、栄養とか運動とかと言う事ではない様にも思います。神様が私共を早く身体を弱らせようと言う様な腹で仰っておられるのじゃない。運動よりも栄養を摂る事よりも、何というても自分の心の状態が健全である事、心が健康である事。それは先ず私共が心配、いうなら取越し苦労。心配ほど私は身体に障るものはない。
そこでですいわゆるその、今日は皆さんに体を作ると言う事は、栄養とか運動とかと言う事がいけないというのじゃない、私はであります。ですから神様はそう言う事よりも、もっともっと、心の中に安らぎを頂き、心が愈々健全である。心が健全であると言う事は、自由自在の事が出来ると言う事。健康であれば自由自在に、自分のどこに行きたいあれをこうしたいと言う事が出来る様に、心が健全であると言う事は、自分の心を自由自在に使う事が出来ると言う事なんです。
心が健全心が不健全であるために、自由自在に使う事が出来ない。あゝここは大体はお礼を云わんならん、喜ばんならんけれども喜びが湧かない。心が暗く心がギコチない。有難い方へ有難い方へと思おうと思うけれども、反対に不安な方へ心配な方へ。もう考えれば考える程、腹が立つと言った様な結果にまでなって来るのです。如何に心が不健全であるかと言う事を、私は悟らなければいけないと思う。そして心の健全を願う。心が自由自在に喜びの心に有難い心に。
コロコロと自分の心が有難い方へ有難い方へと使えれる程しの健全を頂きたい。所謂健全な心と言う事。けれども私共が凡夫でございますから心配せんで良い事でも心配である不安である。これでは身の毒である体の毒ですそういう心配そういう不安、又は焦燥と言った様な事で如何に栄養を摂らせて頂いても、如何に適当な運動をしても根本の心が助かってなかったら、本当の健全本当の健康には繋らないと言う事になります。
体を作れと仰る事は、私はまずは心を作れと言われる事でもあり、またそれが根本でなからなければならないと言う事を思います。成る程そう言う様な事だから、私は自分の心作りと言う事だけに専念する。それが今合楽で言われる心行でもあるわけです。心の行をする事は体を鍛える様に心を鍛える事です。心が太って行きます。皆が大きな願い何事をするにも体がもとである。その体の又元は心である。
心を愈々深く広く使うて行かなきゃいけない。先日ある人が云っておりました。大変何と申しましょうかね、場合には非常にドライであって、まぁ例えば御参りはしなくっても、おかげを頂いて行けるというのは、ただ有難うなって行く御神前で頭が上げられん程に有難い。それだけで良いと言った様な発言をしておる人がありました。確かにそうです神様の前に座って、もう頭が上げられん程有難い。そこに既に助かっておるのですから、有難いと言う事。
成る程お参りをしなくっても、お供えをしなくっても御用をしなくっても、それでやっぱりおかげを受けるです。所がそれでは信心が太るとか、大きくなる事はありませんね。只、自分だけが有難いという心持ちに浸らして貰う事ですから。私共もそういう時代が随分続いた様に思います。合楽示現活動が言われるようになって、何か急に願いが大きくなって来た。しかもそれが実感を込めて、現在の世相の事を思い、未来の地球上の難儀を思うたら、何とはなしにジッとはしておられん様な気持ちが起こり。
いわゆる寒天危地である。天地が喜びに湧き返る様な願いをさせて頂かなければならんのだけれども、現在の様相は寒天危地だと思う。同じ語呂であっても天が寒い思いをなさる。寒心に堪えない寒天。危地というのは地上に危機がもう迫っておると、何か神様がそういう様なお知らせ下さるからにはです。もう愈々もって自分の心が大きゅうなり、太りそして世界中の氏子が、総助かりに助かって行く様な、願いをさせて貰わなければならない。そういう信心の機運と言うものが。
今の合楽にある中に、只自分だけが有難いなぁと言っておったんでは、でけないでしょう。それはその人の周辺におる人はその人が有難いから、家内は喜ぶでしょう。子供達は良いでしょうけれども、それでは余りにも範囲が狭い。そしたら私がお知らせを頂きますのに、鯨の尾の身と言う所がありますね。これはもう船乗りだけ、鯨取りさんだけしか食べないという程しに、ほんのああいう大きな鯨にです。最高に美味しいという所はチョコッとしかないんだそうです。
先日丁度五寸真四角位な尾の身を頂きました。船乗りさんか何かが持って見えられたらしいから、先生に上がって頂きたいと。それは本当に寿司屋さんが使う鯨がありますかね、あそことまぁいっちょ違う所です。尾の身というて尾の方にチョコッとばかりある所らしいのです。そりゃ本当にそれこそトロッとする様な味で、そりゃ本当に美味しいです。有難いなぁと自分だけ悦に行っておるという様なのは、丁度尾の身だけを食べておる様なものだという事です。
なら尾の身というのは、大衆誰にでも食べさせると言う事はでけんのです。それはいくら鯨の棲む様なおかげを頂いてもです、ほんのちょこっと小さいおかげです。他にはないとじゃもん。成る程そこを食べる事も有り難い。そういう法悦と申しますか、信心の喜びに浸らせて頂くと言う事が有難いのです。だからその喜びがです愈々天下国家の事も祈らなければおられない。いや今こそ祈らなければならない時期だと言う事なんです。神様がそれこそ寒い思いをなさり、地上に危機が迫っておる。
何とか真の信心をする。云うならば宗教人が立ち上がって、そう言う事を無頓着でおる人達に、知らせてゆかねばならない。それが私は合楽示現活動だと思うです。それに参画さして貰う。そういう有難い心でそういう有難い一つの運動というか、活動に参画させて貰うと言う所に、現在の合楽の信心はあると思うのです。自分だけが喜びの中に引き篭っとったっちゃいけないという時です。だから教会にも出て来なければいけない、御用もさせて頂かなければおられない。
大きなそういう御用をさせて頂きたいからこそ、一心の信心を様々な工夫をさせて貰うて、心行に心行を重ねて、心を作って行こうというのが現在の合楽の信心だと思うです。心が愈々太るいわゆる心を作る。体を作れと言う事は心を作れと言う事。健康を願えと言う事は心の健全を願う事。所が自分の心たるや小さくてしかも一寸した事が気になって心配になって、さぁ夜も眠られないと言う事になったり。
それこそ思えば思う程腹が立つと言った様な心の状態では、如何にあなたの心が不健全で有るかと言う事を、先ず解らして貰うて、心の健全を願わなければ、身体の健全心の繁栄が、云うならば病気だとさえ言われておるのですから。心の健全を愈々願わなければならない事が解るでしょう。しかも大きなおかげを頂くためには、どうでも太らにゃいけん、大きくならにゃいけん、深くならにゃいけん。そこに鯨の棲む様なおかげも、また頂けるのである。大海の様な信心である。
それに何ぞや、尾の身だけで満足しておるといった様な信心から、早く脱皮してこの喜びを、もっと大きな偉大なものに、大きなお役に立てれる様な、世界の難儀に取り組んで行けれる様な心の状態を、愈々作って行く事に精進しなければなりません。心配する心で信心せよと仰せられますが、成る程私共はそれがそう分かっておっても心配になる、不安である腹が立つ心が苛々する。あゝこれではいけない、これは心が不健全な証拠であると、その心で神様へ愈々向かうて来にゃいけん。
心配する心で信心せよと仰るのです。不思議にどういう心配があっても、お取次を頂いて御理解でも頂いて、一生懸命御祈念でもさして頂きょるとです。心が豊かに大きゅうなる。そういう稽古が繰り返し繰り返しなされて行かなきゃいけない。そして不安はない心配はないと言った様な、私は心を作らせて頂く事が、体を作れ何事も体がもとなりと。だから、体を作ると言う事は只信心を抜きにして。
適当な運動も良かろう栄養を摂る事も良かろう、他に色々薬を飲む事も良かろう。栄養剤なんかを飲む事も良かろうけれども、それは信心じゃない。普通一般に云うておる事。だから信心で体を作れと云う事は、まず心を作れと云う事だと悟らして貰い、しかも大きなおかげを頂く為には、愈々太い、大きな心の成長を願わせて頂く事だと思います。ところが、不安が有る心配が有る腹が立つ。
そこで腹の立つその心で、心配になるその心で苛々する心で、神様へ向かうんです。そこに、心が不安心配焦燥から脱出する事が出来るとでも申しましょうか、そのようにして、心が鍛われて行く。体を作ると云う事は肉体を鍛えという事で有りますけれども、ただ体を鍛えただけではいけない。だから先ずは一つ心を鍛えさせて頂く稽古をさせて貰うて、おかげを頂かなければならんと思います。
どうぞ。